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NIJIの夢

NIJIの夢

香川県


香川の思い出


名所旧跡を訪ね、歴史や文化を堪能する。
そして、美味しいものを食べながら目の保養をする。
それが旅の醍醐味でもある。d(^-^)ね!

また、素敵な出逢いも旅の醍醐味である。
今回も、とっても素敵な出逢いがあった。
しかし、NIJIの胸中に納める事にした。(^_-)☆

団体行動のため、代表的なコースを取ったが、それはそれで満足した。
1度訪れた所も、前回とは違った顔を見せてくれて新鮮だった。

観光の写真は殆んど撮っていない。
バッテリーが切れるのを恐れ、シャッターを切っていないのだ。
前日のカラオケ大会で使い果たしている。(*^_^*)

石手寺から始まった。
四国88ヵ寺の51番札所である。

現在、松山城は天守閣の修復中で足場が組まれていた。
今回は前回と違うコースで登ったような気がする。

コースの変更があった。
【松山お菓子の館】を見学の予定だったが、【松岡子規の資料館】に変わった。
その敷地の一角に【夏目漱石の像】と【坊っちゃん電車】が展示されていた。

〔坊っちゃん〕⇒夏目漱石の小説。(1906年作)
四国の中学に江戸っ子の数学教師として赴任した一本気な主人公が,持ちまえの正義感から事ごとに衝突し、ついに辞表を叩きつけて帰京するというユーモアあふれる作品である。

明けて翌日。
与島で咸臨丸(かんりんまる)に乗船。
小雨降る瀬戸内から眺めた大橋は、絵葉書などで見るものとは違い、趣があってとても素晴らしい光景だった。

大原美術館に入館。
どれも素晴らしい絵画だったが、ゴーギャンの【かぐわしき大地】が目を引いた。
いやらしい感覚からではありませんよー♪(^◇^)

ポール・ゴーギャンはパリで生まれた。(1848-1903)
株式仲買商を勤め、そのかたわら23歳ごろから絵を描き始めた。
35歳のとき、仕事を辞めて画業に専念するようになる。
画家になってからのゴーギャンの生活は、妻子をかかえ、豊かとは言いがたいものだった。
1886年から1890年にかけて、南仏ブルターニュ地方のポン・タヴェンに数度滞在する。
この地で、ベルナール、ゴッホ、セルジエたちとの交流を通し、色を単純化した大きな面に分割して描く、装飾的な表現へと進む。
1891年、南の楽園への憧れを抱き、タヒチ島へ旅立ちます。
しかし、タヒチはすでにヨーロッパの文明におかされ、ゴーギャンが想像した地ではありませんでした。
1893年、彼はパリに戻り個展を開きます。
ところが評判が芳しくなく、再びタヒチに渡ることになります。
そして1903年、タヒチ島よりさらに奥のヒヴァ・オア島で亡くなりました。
この【かぐわしき大地】は、第1回目のタヒチ滞在時に描かれたものです。

その後、倉敷民藝館を回り、次いで倉敷美観地区を散策した。
あの、昔ながらの白塗りの壁が印象的だった。

金刀比羅宮は晴れていた。
前回は霧が掛かっていた。

観光地に住む私としては外の観光地も気になる。
宴会も良いが、せっかく四国最大のホテルに宿泊しているのだ。
観光に関する勉強もしたい。

公式でしか使わない名刺を使って社長を呼び出した。
どんな名刺かって?
知らぬが花ですよー。(*^.^*)エヘッ♪
直ぐに社長が飛んできた。

皆が飲んで食べて歌っている間に、このホテルの社長と意見交換をした。
名刺交換をして、接客マナーや経営方針などについて親しく懇談した。
流石に四国最大のホテルだけのことはある。
社長自ら手ぬぐいを腰にぶらさげていた。
自ら汚れた所を拭き取るのだそうだ。

とても勉強になった。
社長さん、ありがとう♪

さーて、お昼も食べたし、景色を眺めながら家路に就くとするか。
高速を乗り継いで、23:30に自宅に到着する予定だった。

しかし、高速道路で2件の事故に遭遇した。
1件目はさほどでもなかったが、2件目の事故は大きかった。
ガードレールを打ち破り、車が路外に飛び出していた。
養老サービスエリア付近だった。
ニュースになったかも知れない。

結局、帰宅は翌日のAM3:30でした。
ハプニングもあるが旅は止められない。

続いて、≪北海道グルメ旅≫に進みます


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